奈良時代からの海老錠と錠をかける習慣について

テレビや映画などでよく見る時代劇のなかで、悪い人たちが家の扉や蔵の扉の錠前を壊す場面をみかけますね。

錠前を壊してそのまま人が中に入ってく場面です。

江戸時代では、多くの家や蔵では二重扉になっていることが多かったようです。

このため扉をこわしても、中にはまた違う内扉の引き戸があるので、この二重の戸を壊さなければならなかったようです。

引き戸にも錠がかけられていたので簡単には中には入ることができなかったようです。

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二重の錠前の構造について

その構造や仕組みがどうなっていたのでしょうか。

その仕組みとは、戸の内側に設けられている「落とし」という部分を上下させて動かすといった単純な構造だったのです。

その錠はいくつかの決まった条件が合わないと戸が開かないように仕掛けが作られていたのです。

錠を閉めるときは、戸を横方向にスライドさせるだけで、落としと呼ばれる部分が穴にハマるようにできているロック型でした。

錠の1つめの条件は、錠の長さになります。

鍵穴から鍵を入れてそのまま、中に差し込んでおくのですが、落とし部分の溝に届いて穴にはまるようにならなくてはなりません。

このため、錠にはある程度の長さが必要なのです。

2つめの条件はコブの形状です。

鍵穴と落とし部分の間に突起がついた障害物を設けて、構造をより難しくしている錠もあります。

この突起がついた障害物をよけて錠を差し込んでいくにはコブが必要になります。

3つめの条件は錠の先端にあります。

落とし部分には、錠の先端が引っ掛かるように凹凸が作られています。

溝と錠の先端の凹凸がうまくかみ合わないと、錠があくことはありません。

その凹凸の形状は長方形、正方形、二股に分かれているものなど、いろいろな形があります。

これらの3つの条件がそろわないと錠が開くことはないのです。

江戸時代の時から錠前の構造や形状がしっかりと考えられていたのですね。

また、この時代の錠前のサイズはとても大きくて持ち歩いたり、持ち運んだりするには不向きでした。

サイズが大きいため、家に置いて管理されていたといわれています。

昔の家には母屋と離れがありました。

サイズが大きい錠前は、たぶん母屋で保管されていることが多かったと思います。

海老錠と錠をかける習慣について

ここでは、海老錠について触れてみたいと思います。

海老錠は奈良時代に作られたといわれる錠前で、奈良時代以降は錠はあまり進化していないように思えます。

それゆえに海老錠は江戸時代に入るまで使われていたようです。

時代が江戸時代に移ると、新しい錠が世の中に出てくるようになりました。

新しい錠が誕生してきたのです。

それでも、江戸時代にはまだまだ庶民が日常的に錠をかけるという習慣は少なかったようです。

戦国時代とは違い、江戸時代にはとくに戦もない上に鎖国をしていることで、外国との行き来もなかった時代です。

ある意味では、とても平和な時代とも言えたかもしれません。

街の様子も現代と比べると治安がよくて、夜中や外出中に戸締まり習慣もなく、戸締りしたとしても、棒を使って戸を開かないようにするくらいだったようです。

庶民が出かけるときには、近所の人にひと声かけて出かけるような、そんな時代でした。

多くの人たちは長屋と呼ばれる家が続いている住宅に住んでいました。

現代でいうところのテラスハウスをもう少し簡素にしたような住宅といえるでしょう。

このため、隣近所の人たちとの距離感も近くてみんな家族同然の付き合いをするような和気あいあいな雰囲気だったようです。

そんな、環境だったので、見知らぬ人が家に入ったりしたらすぐにわかるし、そもそも見知らぬ人が近づいたり家に入れないような雰囲気だったようですね。

このため、あまり錠をかけるという習慣がなかったともいわれています。

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