三田寛子は若い頃はアイドル!旦那は芝翫で息子も歌舞伎役者で梨園の勝ち組に君臨?

芸能

三田寛子(みたひろこ)さんは、1980年代に活躍した人気アイドルでした。

現在は歌舞伎役者の嫁としての方か知られていますね。

テレビ番組にもコメンテーターとして出演されています。

旦那は歌舞伎役者の中村芝翫(なかむらしかん)さんになります。

また息子が3人おり、皆歌舞伎役者の道へ進んでいます。

そんな三田寛子さんは、歌舞伎界の嫁序列のトップになりつつあるといわれています。

梨園の勝ち組として君臨しているといわれているようです。

どうしてなのでしょうか。

三田寛子さんについて詳しくお伝えしたいと思います。

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三田寛子は若い頃はアイドルだった!

1982年にアイドル歌手デビューをしていました。

デビュー曲は「駆けてきたきた処女」でした。

芸能界では、花の82年組といわれています。

それほどアイドルの当たり年だったのです。

同期では小泉今日子さん堀ちえみさん中森明菜さんシブがき隊など現在でも芸能界で活躍されている方が多いですね。

すごいアイドルばかりがデビューした年代でした。

アイドル歌手として活躍した後は、バラエティ番組に出演したり、女優としても活動をしていました。

1991年に歌舞伎役者の中村芝翫さんと結婚しました。

当時は、アイドルと歌舞伎役者の組み合わせがめずらしく、話題になりました。

旦那は芝翫で息子も歌舞伎役者で梨園の勝ち組に君臨!

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元アイドルから歌舞伎の世界へ入った三田寛子さんでした。

嫁いで30年以上もたてば、立派な嫁で梨園の嫁の勝ち組といわれているようです。

勝ち組と言われるのは、家の格もあるそうです。

旦那の父親である7代目芝翫さんは、人間国宝となっており歌舞伎界の重鎮でした。

旦那の8代目芝翫さんもいずれは人間国宝になるといわれていますね。

ですから、義理父や旦那は歌舞伎界の中でもスゴイ方だったのです。

歌舞伎界で嫁の序列が決まるのは、旦那の歌舞伎界における格と嫁いだ順番によるところが大きいといわれています。

スゴイ世界なようですね。

嫁いだ家の屋号は、「成駒屋」といいます。

中村屋系列のトップになる家柄になります。

歌舞伎界の名門の家になります。

そのほか歌舞伎界の名門といえば、市川海老蔵さんの「成田屋」中村勘九郎さんの「中村屋」があります。

しかし、市川海老蔵の嫁の小林麻央さんはお亡くなりになりました。

そして、中村勘九郎さんの嫁の前田愛さんはまだ若いのです。

梨園の嫁の中では、名実ともに三田寛子さんがトップにとして君臨しているのです。

同じ芸能界から、歌舞伎界の嫁となった方には、女優の藤原紀香さんがいますね。

歌舞伎界役者の片岡愛之助さんの嫁となりました。

今ではすっかり梨園の嫁ぶりが板についていると評判ですね。

しかし、人気抜群の片岡愛之助さんですが、養子として歌舞伎界に入っています。

直系の御曹司ではないため、歌舞伎界での格はそれほど高くはないそうです。

それに伴って嫁の藤原紀香さんの嫁の序列もそれほど高くはないそうです。

なんとも梨園とは不思議で厳しい世界ですね。

また旦那芝翫さんとの間には、息子が3人誕生しています。

歌舞伎の世界では、子供はなんといっても男の子の誕生が望まれるようです。

三田寛子さんは、流産の経験をしながらも、男の子を3人も産みました。

そして、3人の息子も立派に育てあげ、歌舞伎界に進み活躍をしています。

このあたりも、歌舞伎界の嫁の中で勝ち組と評価されるところのようですね。

歌舞伎の世界は、独特のしきたりや人間関係がありそうですよね。

若い頃はほんわかしたイメージだった三田寛子さんに嫁がつとまるのかといわれていたようです。

しかし、三田寛子さんは結婚してから、書道やお茶、料理などを習い身につけてきました。

また人つき合い方や独特のしきたりを覚えるため、ずいぶんと努力をしてきたそうです。

今では、すっかり梨園の嫁となりました。

歌舞伎界の嫁のトップに君臨しているくらいです。

旦那の浮気の1つや2つどうってことなく、離婚などあり得ませんよね。

以上、勝ち組といわれる三田寛子さんについてまとめてみました。

 

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