川淵三郎(かわぶちさぶろう)氏はオリンピック員会会長の就任を、直前になって辞退することになりました。
森喜朗元会長の後任として東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の会長に就任の予定でした。
混乱をしている会長選び、日本国中からこれ以上オリンピック関係で騒動にはなってほしくはないという声も多いのです。
辞退の理由が、川淵三郎氏の評判や炎上歴などがあるからという噂があります。
本当なのでしょうか。
また年齢が84歳という高齢になります。
年齢的にも大丈夫かと心配されたことも原因といわれています。
川淵三郎氏の辞退について詳しくお伝えしたいと思います。
森喜朗にせよ、川淵三郎にせよ、自分が問題になってることの自覚はないんだろうな。こんな連中を持ち上げ続けている我々にも責任がある。いずれにせよ、日本はどんな階層でも早期リタイアで引退し、世俗とは無関係な人生をおくれないシステムになっている。
— Tokyohelper:石田雅彦 (@tokyohelper) February 13, 2021
小籔千豊 森喜朗会長辞任に「変な切り取り方した報道の人も辞任せなあかん」
偏向報道をした国内外のメディア全てに責任を取らせたいですね。
このままメディアを放置してたらメディアと反日勢力による思想統制や言論弾圧が平然と行われる国になります。https://t.co/P87LdU9oza— 由美 (@MagnoliaAliceF) February 12, 2021
菅は森喜朗の辞任について最初は「私には権限がない」と言って我関せずという態度だった。
ところが森喜朗が川淵三郎を指名した途端「容認出来ない」
だから国民は菅政権を信用しないんだよ。
— aki (@3h_aki) February 13, 2021
なるほど、とうとう東京五輪も”終わった”か?【あきれた政府の二枚舌…組織委会長人事、政府介入なら五輪憲章違反で開催権剥奪も】(スポニチアネックス)#Yahooニュースhttps://t.co/BJGA3yFNiQ
— 郷原信郎【長いものには巻かれない・権力と戦う弁護士】 (@nobuogohara) February 12, 2021
川淵三郎氏のオリンピック会長辞退の理由は評判や炎上歴に年齢が84歳?
日本のみならず世界中を巻き込んでスッタモンダした森喜朗元会長の辞任騒動でした。
2021年2月12日、森喜朗元会長の辞任を表明したことに伴い、後任に選ばれたのが川淵三郎氏になります。
経歴は、大阪府高石市の出身。
元サッカー選手から元日本代表監督、Jリーグ初代チェアマンであり、第10代日本サッカー協会会長になりました。
そして、名誉会長から最高顧問という役職を経て、現在は相談役になられています。
輝かしい経歴と大きな功績を残されていました。
まさに、日本のサッカー界の重鎮であります。
川淵三郎氏の評判を調べてみると、独裁者というワードが出てきます。
独裁者という評判だったのでしょうか。
日本サッカー協会の会長に就任した時に、ニックネームを募集したことがありました。
すると、「独裁者」というネーミングが集まったそうです。
本人も「独裁力」という題名の著書を出していたので、独裁という言葉が出てくるようです。
また過去には内定監督をポロリ発言してしまい炎上し騒動になったことがありました。
2006年ドイツ大会にて、当時の日本代表の監督はジーコさんでした。
思うような結果を残すことができなかった日本代表でした。
そんな帰国の記者会見の場で、川淵三郎氏は「オシムが・・・オシムって言っちゃったね」コメント中で、次の日本代表の監督の名前を口滑らせてしまいました。
関係者やオシム監督でさえ、まだ聞いていなかった話でした。
騒動になったことがありましたね。
また2018年、ロシアワールドカップが開催される時期に、ハリル監督に対して「ほとんど勝てる可能性はない」と自身のツイッターで発言をしていたことがありました。
ハリル監督に対して失礼ではないかと炎上してしまったことがありました。
川淵三郎氏もちょっと口をすべらせてしまう可能性があったかもしれません。
そして、川淵三郎氏の年齢は84歳になります。
83歳の森喜朗氏が辞任して、後任がまさかの84歳の川淵三郎氏が就任しました。
さらに1歳年齢が上で大丈夫かという声もありました。
まったく変わらない日本ともいわれたようです。
世界中で笑い話になってしまうともいわれていますが、年齢的に無理があったのかもしれません。
しかし、川淵三郎氏も過去にもオリンピック事業に関わっていた経験がありました。
1980年ロサンゼルスオリンピックの強化部長をつとめていました。
また2019年には東京オリンピック・パラリンピック選手村村長に就任しています。
またサッカー界だけではなく、日本バスケットボール協会会長もつとめられてスポーツ振興のために尽くされてきました。
経験が豊富だったので、やはり適任の人事だったのかもしれません。
現在は、日本サッカー協会の相談役とつとめられています。
若い頃はサッカー選手として活躍されていました。
なんと1964年の東オリンピックに日本代表として出場されていました。
そして、日本対アルゼンチン戦でゴールを決めた名選手だったのです!
東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の会長職に選ばれたのは、そんな名選手だったこともあったからなのでしょうか。
再び、東京オリンピックに関わることができたかもしれないチャンスでした。
以上、川淵三郎氏の会長辞退の理由や評判や炎上歴、年齢84歳についてまとめてみました。
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